「言語はツール」の落とし穴 – 施光恒

「言語はツール」の落とし穴 - 施光恒

新経世済民新聞 「言語はツール」の落とし穴

日本語は自分や相手を指す言い方が多岐にわたり、状況に応じてうまく使い分けていかなければなりません。

英語は自分は常に”I”です。英語の世界観では、常に自分が出発点、そこから周囲を認識するというものの見方になることを示しています。

日本語は自分の周りの状況を先によく知って、そこでの自分が認識されるという順番になります。自分がどういう存在かは、場に応じて臨機応変に決まってくるという具合なんですね。

状況認識や他者との関係性の認識が先で、それに応じて臨機応変に自分を規定していくという柔軟な日本人の自己認識のありかたは、「思いやり」「譲り合い」の精神を育みやすいのです。

英語を母語とする人々でしたら、自己は最初から中心に位置するので、複数の人々の自己主張が衝突し合うことになります。そこで、互いの自己主張のぶつかり合いを調整する「公正さ」、法律やルールの明記や順守(最近の言葉でいえば「コンプライアンス」)が大切になってくるのです。

ものづくりの研究をしている経営学者・藤本隆宏氏が指摘しているのは、日本の製造業の中でも特に強い分野というのは「摺り合わせ型」であるという点です。藤本氏は、製造業を「摺り合わせ型」と「組み合わせ型」に分類します。

「摺り合わせ型」というのは、たとえば自動車やデジタル一眼レフカメラなどで、各部品を相互に上手く適合させる必要のある分野です。「組み合わせ型」は部品を集めて、組み立てればできてしまう分野です。

「摺り合わせ型」の産業では、コミュニケーションを密にし、良い物をつくろうという一つの目標に向かって、まさに摺り合せを行います。その際に、「思いやり」「譲り合い」という道徳と通底する日本的なものの見方が役立ちます。つまり、全体の状況を見渡し、自分のあり方を調整する行為が有益なのです。

「言語はツールに過ぎない」という発言では、言語が、使い手の自我や、文化や社会のあり方に影響を及ぼすものであることが考慮されていない。言語は文化や伝統を背負っており、日本の文化や伝統の維持・発展にどのような影響を及ぼすかを真剣に考慮することが必要なはずです。

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