別冊宝島2556 独裁者カストロの素顔

別冊宝島2556 独裁者カストロの素顔

・米西戦争後の1902年に独立したが、カストロの幼少期のキューバはアメリカの半植民地状態

・1933年カストロが7歳のときにクーデターで実権を握ったのが軍人政治家フルヘンシオ・バチィスタ。

・ノンポリだったが政治闘争の嵐が吹き荒れるハバナ大学に入学後、政治活動にのめり込む。巧みな演説で有名に。革命運動に目覚める。

・ドミニカ解放義勇軍に参加するも失敗。ハバナへ帰還後、キューバ人民党のチバスとともに政権批判運動を展開。

・コロンビア訪問中にボゴタ暴動が発生。カストロも参加、群衆を指揮する。暴動=革命を目の当たりにする。革命者として目覚める。

・結婚して弁護士として働く。立候補を目標に政治活動を開始。チバスが自殺。1952年にバティスタがクーデターを起こし自ら大統領となる。カストロは政権打倒運動を開始。

・1953年、モンカダ兵営襲撃失敗。山中で逮捕→裁判「歴史は私に無罪を宣告するだろう」という陳述で自己弁護を展開。ピノス島刑務所に収監される。

・恩赦を求める世論に抗しきれなくなったバティスタはカストロを釈放。ハバナに帰還→メキシコへ亡命。エルネスト・ゲバラと出会う。

・同志を集めメキシコでゲリラ戦に向け特訓、資金集めにアメリカへ入国。『グランマ号』を入手。

・グラン号でキューバ遠征。なんとか上陸したが、陸軍機の爆撃に遭い生存したのは16名のみ。マエストラ山脈に潜伏。

・1958年、勢力を拡大させたカストロは進軍を開始。翌年、革命を成功させる。バティスタはドミニカに亡命。

・ゲリラ戦を戦っていた当時カストロは、「我々の革命の闘いは共産主義や社会主義とは無関係」

・カストロはアメリカからの経済援助を拒否。アメリカ資本による支配を受けていた革命前のキューバ、豊かな暮らしをしていたのは一部の支配階級だけ。

・カストロは革命前のキューバからの脱却を目指した。産業のないキューバにとってアメリカと距離を置くことは共産主義へ接近することに繋がった。

・農地改革法。農地を国有化して国民に与える。アメリカ企業の保有していた農地も国有化された。民主主義の回復を標榜して革命を行なったが、共産主義的改革に国内外から批判が上がる。

・知識階級、富裕層はカストロの改革に反発し国外へ亡命。反面、大衆からは熱狂的に支持された。

・1960年、ソ連とキューバは貿易援助協定を締結。ハバナでソ連産業貿易展を開催。

・キューバの共産主義化を阻止したいアメリカは経済的な締め付けを開始。

・1960年、ニューヨークで開催された国連総会で4.5時間の演説を行う。革命賛美とアメリカ批判を行なった。

・アメリカは経済封鎖を行う。1961年、キューバとの国交断絶を通告。

・カストロの改革に反発する国民も少なくなかった。反乱分子を抑えるため、革命防衛委員会を組織し、国民を相互に監視・通報を義務付けた。

・カストロは自分の家族の資産も例外なく接収している。それによって実母からは絶縁されてしまう。

・ケネディはアイゼンハワーが作成したキューバ侵攻作戦の実行を決断するが失敗(『ピッグス湾事件』)

・ピッグス湾事件後、カストロはアメリカと完全に決別。自らの革命の行方について「社会主義革命である」と宣言。

・カストロはソ連に軍事援助を要請。アメリカとの対立が決定的になった以上、軍事強化が不可欠になった。

・カストロは国民の相互監視を強化、キューバ共産党の一党独裁を確立、「私はマルクス・レーニン主義であり、死ぬまでそうあり続ける」と宣言。

・アメリカはマングース作戦と名付けた政権転覆計画(カストロ暗殺、クーデター支援)を行う。

・1962年、ソ連とキューバの間で核ミサイル配備の密約が結ばれる。ケネディは海上封鎖で解決しない場合は空爆を行うと決定。

・フルシチョフとケネディは水面下で交渉を行う。アメリカがキューバへ侵攻しないこと、トルコのミサイルを撤去することを条件に、キューバのミサイルを撤去することで合意。

・カストロはソ連を批判、同じようにソ連を批判した中国までも批判。国際的に孤立を深める。

・キューバ危機後、チェ・ゲバラを中心にアジアやアフリカ、南米に軍事顧問を派遣する『革命の輸出』を推進。しかし、1967年、チェ・ゲバラの死で革命の輸出も終焉を迎える。

・1960年代後半のキューバは経済的に瀕死状態。1968年のソ連のチェコスロバキア侵攻『プラハの春』(民主化運動鎮圧のための軍事介入)を支持したことで、キューバとソ連の関係は改善。

・1991年、ソ連崩壊と共産主義の終焉。社会主義陣営の一員としてソ連から経済援助を受けていたキューバにとっては死活問題だった。

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