歴史の書き換えが始まった!コミンテルンと昭和史の真相 – 中西輝政・小堀桂一郎

歴史の書き換えが始まった!コミンテルンと昭和史の真相 - 中西輝政・小堀桂一郎

戦後レジーム

・初期マルクス主義の人間不信の原理がGHQの占領政策とその後の「戦後レジーム」に入り込み、日本の歴史、伝統、文化を破壊し続けている。

・キーワード

  • ミトローヒン文書
  • マオ
  • GRU帝国
  • ヴェノナ文書
  • マッカーシズム

第1章 大東亜戦争とコミンテルン

・三田村武夫『戦争と共産主義』(大東亜戦争とスターリンの謀略)がウィロビーによるGHQ内部の共産主義者の調査、ルーズベルト政権や日本政府内部の共産主義者追求、マッカーシーの赤狩りの発端となった。
 - 三田村は昭和21年には主要部を関係先に配布
 - 読売新聞社長の馬場慎吾はGHQのウィロビー将軍に持参
 - これがきっかけとなりウィロビーはゾルゲ捜査を開始

・ある歴史問題の特定の解釈について、それが正しいかどうか判断するには、何故そうした話が流布するようになったかまで遡らなければいけない

・伝聞に歴史的な資料価値は無し

・日本の中枢は、石原莞爾のように満州国の発展と国力充実が大事で、支那本土には介入しないという方針。モスクワは北支に手を出させ日本の国策を転覆させる考え。

・関東軍が張作霖爆殺を行なったというのは、当時の流言飛語、東京裁判での田中隆吉証言、河本大作告白記(文藝春秋掲載、書いたのは河本の義弟、河本自身は中国の戦犯管理所で死亡)に基づいている

・ソ連のGRU(旧ソ連赤軍参謀本部情報総局)が東支鉄道の利権を脅かす張作霖を暗殺し、息子の張学良と関東軍との間に対立を起こすよう画策。関東軍の仕業と思わせる工作、実際の爆破の二つの工作を行う(『GRU帝国』ソ連情報工作機関の実録。『マオ』が引用したことで知られる)。

・爆破の指揮をとったのはナウム・エイティンゴンという工作員。後にメキシコでトロツキーを暗殺した。エイティンゴンは工作の証拠を自分の回顧録に載せ、自分がやったと証言。

・2005年、ロシア・テレビラジオ局(RTR)が番組「世界の諜報戦争」の中で、「『田中上奏文』は1928年にソ連諜報機関OGPU(KGBの全身)が偽造し世界に流布させたもの」と明らかにした。

第2章 戦後史とコミンテルン

・ニューディーラー:リベラル派。援蒋政策と日米開戦を推進。GHQを主導した民政局(GS)の主力メンバーもニューディーラー。

・アグネス・スメドレー:アメリカの女性ジャーナリスト。南京大虐殺20万人説を最初に流布した1人。ゾルゲに尾崎秀実を紹介。コミンテルンの秘密工作員だったことが判明。

・ハーバート・ノーマン:日本育ちのカナダ人外交官。GHQに思想的影響を与え、共産党員の釈放・戦犯容疑者の調査を担当。カイロで自殺。

・エドガー・スノー:アメリカのジャーナリスト。毛沢東、中国革命を賛美。田中上奏文を世界に広め、南京大虐殺を捏造し米国世論を対日戦争へと誘導。

・オーエン・ラティモア:ジョンズ・ホプキンズ大学教授。蒋介石の政権顧問。天皇制廃止、天皇と皇位継承権のある男子を中国に抑留すべきと主張。

・ニューディーラーは進歩主義、民主的改革の名の下、乱暴な改革を進め日本の伝統文化、社会構造を変えていった。

・コミンテルンは国際NGOを共産主義ネットワークを作る隠れ蓑として利用。1926年の時点でコミンテルン秘密宣伝部が日本の新聞と雑誌の19メディアをコントロール下に置いていた。(工作員アーサー・ケストラーの告白)

・外からの秘密工作により大正末期の日本は急激に赤化、治安維持法が無くてはならなくなる。

・吉野作造が『東大新人会』をスタート。マルクス主義団体になり、尾崎秀実、野坂参三など共産党員が送り出され、卒業生が満鉄調査部や朝日新聞などに送り込まれる。

・尾崎秀実などはコミンテルン、延安の指示で政府の不拡大方針を覆し、意図的に泥沼化させる。蒋介石との和平交渉を裏工作で挫折させていく。

・ヴェノナ文書により、GHQ内部にコミンテルン、ソ連諜報部のスパイ・工作員がいたことが判明。昭和23年までのGHQはコミンテルン人脈が大半を動かした。

・ノーマンが戦後最初にやったことはアメリカ共産党の秘密党員だった都留重人との接触。都留重人と共に鈴木安蔵(マルクス主義憲法学者)を探し出し、『憲法研究会』を作らせる。

・コミンテルンの工作組織として作られた憲法研究会が”日本人の自発的意思”による憲法草案を作成。この草案をもとにケーディス達が日本国憲法の最終草案を作成。

・ノーマンが重視したのは憲法1条。「国民の総意」を口実に天皇制を廃止できるようにしておくというのがスターリンの対日戦略だった。

・憲法1条の『天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって』まではGHQ案。そのあとの条文には極東委員会(当時ノーマンが勤務)からの修正案によって『この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく』となった。

・君主国で「国民主権」をうたっている憲法は日本だけ。デンマーク、ノルウェーでも国民主権をうたっていない。敢えてこの1文を入れさせたのはソ連だった。

・1950年代から『日中国交回復運動』が始まる。中心となったのは風見章(近衛内閣書記官長、社会党左派の指導者)、西園寺公一などの昭和研究会人脈(マルクス主義者の巣窟)。

・ノーマンの「日本における近代国家の成立」の下敷きはコミンテルンの32年テーゼ。日本革命のために作り上げた日本認識(半封建的な軍国主義など)。同時期にスノー、スメドレーは中国礼讃、ノーマンは日本批判を行う。欧米社会に日本は悪い国だから変えなければいけないという宣伝、戦後はGHQで日本国内にそれを宣伝。

・ハリー・デクスター・ホワイト:ルーズベルト大統領に強い影響力を持つ財界の大物。ハル・ノートの原案を書いた。ソ連のスパイ工作員。

・アルジャー・ヒス:アメリカの弁護士。政府高官としてニューディール政策に関与。ホワイト共にハル・ノートを作成。ヤルタ協定の原案を作成(ヤルタの帰り道に手柄を立てた工作員としてソ連から勲章をもらう)。国連設立に関与。ソ連工作員。

・ヴェノナ文書の暗号解読資料は極めて信頼性が高い。イギリスからもコミンテルンの秘密音信の傍受解読記録(マスク文書)が出ている。エリティン時代に旧ソ連、コミンテルンの膨大な資料が公開(リッツ・キドニー文書)。

・近衛内閣には尾崎秀実をはじめ、コミンテルンの工作員が多数入り込んでいた。日本軍の仮想敵国のソ連への矛先をそらすために南進論、対米英戦争をしきりに唱えた。

・南進論の主張「南に行けば石油が手に入る」があり、企画院(統制経済を推進する政府機関部署、コミンテルンのスパイがいたことがミトローヒン文書で明らかに)が南方の石油の見積もり調査を行なった。ところが、実際に蘭印を占領後、それがいかに歪んだ調査報告(航空燃料として使用不可、埋蔵量も水増し)だったかが分かった。

・司馬遼太郎や五味純平のノモンハン論はスターリンが発表したプロパガンダの数値を基にしている。ヴェノナ文書により、ソ連軍は日本軍より死傷者を出し、個々の戦闘でも殆ど敗北していたことが分かった。最後に日本軍の十倍の兵力を投入しやっと圧倒することができた。

・レーニン主義の3つの眼目

  • 西側自由主義国の自由を徹底して利用すること。自由を欲するという自由諸国の弱点になっているところを最大限に利用する。
  • 資本の論理。利潤という餌で相手国の経済人を取り込むこと。
  • 真実を乗っ取ること。嘘によって歴史を偽造して、その嘘をつき続ける。

・マルクス・共産主義の真髄とは人間と社会にとっての良きものを潰していくこと。秩序、価値観、家族、国家、伝統、歴史、道徳、信仰を否定することが革命の第一歩とされた。あるいは、他者との関係を前向きにとらえ自己を向上させる、社会に問題があっても少しづつ改善して良くしていこう、他人の役に立ちたい、そういう人間的な心を壊してゆくのがマルクス主義。

・大抵の悪徳はどこか相対的性格を有していて美德に反転する可能性がある。ところが、怨望はどうにも役に立たない悪徳である(福沢諭吉『学問のすヽめ』)。

・戦前コミンテルンは日本人に排他的なアジア主義を唱えさせることによって日本と欧米の関係を分断することを対日工作の柱にしていた。日本人の間にも反欧米という機運を意図的に作り出した。保守陣営の分断を図るため過激な反欧米運動を煽った。

・「理想として目指したのは日本革命だが、いきなりはできないので、まずはシナ革命、中国共産党と組む。そして日本を大陸の戦争に引き込み英米との対立関係を激化させる。日本の敗戦後に革命を達成する。それからソ連、中共、日本共和国が東アジアの中核になる、朝鮮、ベトナム、フィリピン、ビルマを社会主義化していく。これが私の理想とした世界革命だ」(尾崎秀実の自供した検事調書)

・優れた者を引き降ろす平等主義の社会主義情念、伝統日本に対する憎悪、反西欧的なアジア主義、この3つが日本のインテリの負の情念として今も残っている。

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